カニヘンダックスの”モモ”と”みかん”と過ごす日々の生活を綴っています♪  猛禽を中心とした野鳥の写真もどうぞ!

モモフォト♪  ~わんこと宮城の野鳥~

東日本大震災から今日で5年が経過しました。あの日の出来事は一生忘れることはできません。
ただ、いろんなことを忘れていっているのも事実です。私も過去の自分の写真を振り返ってみました。
震災前後の、写真を3枚ほど思い出として掲載してみます。

最初の1枚は、震災から1週間前の3月6日の蒲生干潟の写真です。(既掲載の写真です。)
干潟には葦原が広がり、チュウヒが舞う、生態系が豊かな場所でした。この地が以前のように戻るのは、まだまだ先のようです。
こちらは、野鳥撮影を趣味にしている限り、この地を見つめていくつもりです。
2011-03-06蒲生海岸

震災翌日の3月12日の我が家の夜の一コマです。ガスランタンの明かり、ガソリンストーブで少しの暖を取りました。
何よりも役に立ったのはラジオでした。
2011-03-12自宅

3月18日の月。しばらくの間、写真を撮る時間もありませんでしだが、振り返ると月を撮っていました。
2011-03-18月

テーマ : 写真日記    ジャンル : 写真
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あの大震災から今日で3年が経ちました。テレビでも大震災の特集が放送されていました。決してあの日を忘れてはいけないし、風化させてはいけないと改めて思いました。
夕方になり、仙台市荒浜に行ってきました。荒浜の被災地から仙台市内を望む写真です。
荒浜の今

海岸近くには、震災の慰霊碑が建造されておりました。
被災されお亡くなりになられた方に向かい「南無釈迦牟尼仏」とお唱えしました。同年秋に亡くなった親父にもお唱えしました。
荒浜の今

この地はまだまだ復興には遠い状況です。残された方々が一日も早く安心して暮らせるように願っております。
荒浜の今

テーマ : ある日の風景や景色    ジャンル : 写真
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長いようで早かったこの1年。ただし、あの日のことは今でもはっきりと覚えています。
震災の特集が組まれるテレビ番組を見ると、涙がでそうになったり、もう勘弁して欲しい気持ちなど、複雑な1日でした。
そういいながら、近郊で津波被害にあった場所に出かけてしまいます。午前中に数か所を訪れてみました。
各地で合同慰霊祭の準備がされていました。線香を手向けて、「南無釈迦無似仏」とお唱えをしてきました。
海に向かって、まだ行方が分からない方達にもお唱えをしてきました。

1~2枚目の写真は、仙台市荒浜の今を撮影してきました。
住居の建築制限がされた地域では、ガレキの多くが撤去されたものの、土台の多くはそのままです。
荒浜海岸のいま

荒浜海岸のいま

3枚目は名取市閖上の日和山からです。津波からも残った小さな小山の上に、たくさんの花が手向けられていました。合掌。
ゆりあげ
私ことですが、大震災では家族を失わなかったのですが、9月に病気で父を亡くしました。
自宅は修繕で住めますが半壊の認定になりました。愛犬も亡くなりました。激動の1年でした。

でも、今日から、また新しい生活が始まります。
理由があって数年の間、離れていた娘メグと本日より一つ屋根の下で過ごすことになりました。
震災後1年のこの日となったのも計画ではなくて、必然のような気がします。絆でしょうか♪

Canon Eos-7D EF16-35mm F2.8LⅡUSM
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あの大震災から1カ月半がすぎた。石巻から女川方面の現状を見て回ることにした。
この地は私にとっても思い出深い場所でもある。
石巻は娘が生まれた町で3年間ほど暮らした。女川は数年前まで、仕事で幾度となく通った場所だ。
石巻の市街地も北上川を越流した津波の被害の傷跡が大きく残っている。傾いた家屋、積み上げられたゴミ。

日和山公園に車で登っていく。いつもの年と同じように桜がほころんでいた。
ただ、花見を楽しむ人はわずかで、多くの人が被災した街の光景に目を奪われていた。
日和山からの被災状況

日和山から見る太平洋側は、加工場、住宅地などすべてが壊されていた。
この数週間、沿岸の各地を見てきた光景と同じで、心が痛い。
北上川沿いにある中州もほぼ波に浚われたが、石ノ森マンガ館が残っていた。
日和山から見た石巻港方面の被災状況 日和山から見た北上川(中州)の被災状況

渡波の道路は通れるようになっているが、倒れた住宅、つぶれた車、ガレキ、埃は、あの日から時が止まっているかのように感じる。
場所によっては冠水がいまだに続いている。道路わきに積みあがったガレキ。これが今の街の姿だ。
石巻市渡波付近 石巻市渡波付近の冠水は続く

海岸沿いに足を運んだ。ここでは防波堤が決壊していた。
決壊した防波堤の目の前には長浜幼稚園の園舎が残っているが、基礎がえぐられもう使えないだろう。
この幼稚園でも幼い2名の命が失われたとの記事を読んだ。
この日は穏やかな波だったが、高潮から守るためにも防波堤の早期復旧が望まれる。
渡波の海岸堤防は決壊していた 決壊した防波堤の前の幼稚園舎

国道398号を走り女川町に向かった。万石浦は比較的被害が少なかった地域だ。
しかし、この地域をすぎ女川の中心部に入った途端に、またも壊滅的な被害の状況が目に飛び込んできた。
女川湾からかなり奥に上った住宅地まで全てガレキに化していた。
3階建てのビルの屋上に車が残されていた。津波は入江で増幅され、どれほどの高さになったのだろう。
目の前の光景をもってしても想像ができないほどの惨状だ。
あちこちで重機が動き、自衛隊の支援も続いているが、ここには生きた街を見ることはできなかった。
女川町も壊滅的な被害 女川町の被害状況

国道398号をそのまま進み、旧雄勝町(石巻市)に向かった。心配していた道路は繋がっていた。
雄勝も酷かった。小さな街ではあるが、雄勝湾の周辺もその街並みがすっかりガレキと化していた。
この地域はテレビなどで報道されることも少なかったように思うのだが、港町はやはり壊滅的な被害を受けていた。
旧雄勝町(石巻市)も壊滅的な被害 旧雄勝町の被害状況

大震災後、1カ月半が過ぎ去ったが、被災した街の復旧は目に見えては進んでいないように映る。
でも、道路は啓かれた。新しい電柱を立てる作業もしていた。一歩ずつだが復興へむけて進みだしているはず。
避難所暮らしの方たちが、早く仮設住宅などに移れるようになって、新しい生活ができることを祈っている。
また元の街のように、それ以上に住みよい、新しい街を再生していって欲しいから。

Canon Eos-7D TAMRON SP AF17-50mm F2.8 XR
復興へ 頑張ろう!みやぎ

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今日は仕事で気仙沼に行くことができた。
東北道はところどころに凄い段差がある。一関経由で気仙沼に入った。
気仙沼の街中も1mほどの浸水があったようで、道路沿いにはガレキが積まれている。

気仙沼港の近辺に足を踏み入れた。一般車両は進入禁止の場所だ。
道路は開かれていたが、ガレキの山で無残な姿になっていた。土埃もひどい。
港近くで被災にあった建物の3階から、この付近の被災状況を撮影してみた。
この建物は2階まで津波が浸水したのだが、3階はなんとか助かっていた。
気仙沼湾付近の被災状況

気仙沼湾付近は壊滅的な被害である。これまで見てきた場所と比べてもかなり酷い状況だ。
鉄筋コンクリートの建物はあちこちに残ってはいるのだが、もう使い物にはならないと思われる・・・
気仙沼湾付近の被災状況
気仙沼湾付近の被災状況

この後、車で移動しながら津波に襲われた沿岸部の惨劇をいくつも目の当たりにしてきた。
カメラを傾ける時間がなかったので、自分の記憶にしっかりと刻みながら国道を走った。

RICOH G700
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プロフィール

イワイワ

Author:イワイワ
趣味の写真をとおして、日々の出来事を紹介しています。
最近は野鳥撮影にのめりこんでいます。

ブログの写真は主に、CANON EOS 1DXと5DⅢで撮影しています。
過去kissX2,50D,7D,7DⅡ使用してます(^.^)

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